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Posted by あしたさぬき.JP at

2012年01月25日

介護施設 奈良編

この種の介護保険の導入の必要は、日本の人口ピラミッドが頭が重く覆われていている、先例がない速度から生じます。
数、日本、65歳以上に年を取らせた、過去数年および昨年間600,000以上毎年増加している、15%達したこの高齢ブラケット中の人口の部分。
7%から14%までのこのパーセンテージの成長、フランスでドイツおよび130のすべてで45年をとった、日本の単なる24年の期間に起こりました。
2010年に2000年および世界で最高の21%に日本の65歳歳以上の人口の比率が17%に達すると予想されます;
それが2040年に28%高くなるだろうと推測されます。
社会のこの迅速な灰色になることは、それらの日々の活動での介護あるいは援助を必要とする100,000人以上の高齢者の年次増加(既に200万を上回った人口)に結びついています。
不十分な介護サービスは、さらに長期的で、医学的に不必要な「社会的入院」に多くの高齢の患者を代わりに頼らせることにより、健康保険制度の経営状態を緊張させています。
もし介護サービスが拡大しなければ、初老の必要とする介護の人口の評価された増加は、2000年までに280万、および2010年までに400万まで、単にこの状況を悪化させるでしょう。
これらの心配事は、医療から介護サービスを分けて、かつ前者の個別の社会保険計画を導入する決定のために、推進力を提供しました。

奈良県 介護施設


厚生省は、計画が2000年度、オペレーションのその最初の年に4兆2000億円(365億ドル)かかるだろうと推測します。
しかし、社会的に、入院患者の報道が介護保険に切り替えられるように、健康保険制度に対する負担は約1兆2000億円(104億ドル)によって減少するべきです。
北欧人種モデル
介護サービスの同様のシステムはドイツおよびスカンジナビアの国家において適所にあります。
ドイツのスキームは翌年1995年および導入された設備に基づいたケアにホームケア看護を提示し始めました。
18歳歳以上のすべての市民は、計画を支援する資金に寄与します。それは、それが公の金額に依存しないことを意味します。
ケア受取人および家族は、サービスを直接受けるかあるいはそれらの介護ニーズのために金券を得ることを選ぶことができます。
市政上展開されたスカンジナビアのスキームは、他方では、介護を提供する公的資金に近づきます、貧困、初老。
医学および福祉事業は一体になっています。また、多くの注意設備が24時間のサービスを提供します。
日本の介護保険スキームは、それらの各々の特長のうちのいくつかを特色とするこれらのシステムのメランジュです。
しかし、そのイントロダクションは、完全に滑らかであるとは予想されません。
現在、ドイツは適所に介護保険スキームを持つ唯一の国家です。また、そのプログラムはまだ若い。
したがって、試行錯誤の期間が暫くの間継続すると予想されます。
介護保険制度は2000年度にそのインプリメンテーションの5年後に調査のために予定されます。
  


Posted by takumi at 11:49Comments(0)

2011年09月19日

鎮痛剤「アザスルファン」って知っていますか?






管理人が潰瘍性大腸炎で闘病中、

メインの薬はサラゾピリンとその副作用で

悪名高きプレドニン(ステロイド)でしたが



現在では(昔からあったのかは知りませんが・・)

アザスルファンと呼ばれる、薬があるそうですね。




血便・腹痛などトイレから離れることすらできず

絶望的な状態で当時、症状が治まる可能性があるのならなんでも試しました。



一度だけサンクロレラで症状が治まったことあり。

次回はダメでした。。。



当時アザスルファンがあったら絶対試していたと思います。



>>左下の鎮痛剤・アザスルファンは要チェック







  


Posted by takumi at 12:46Comments(1)

2010年04月20日

22歳病状はおさまっているが・・・


今後、再発する可能性が高いと踏み、

医師に手術をして欲しいと申し出る。


ただ、現状症状がおさまっていたため、

難色をしめす。


これから、自営業を始めるから途中で再発しても困るので

どうしても、手術して欲しいと申し出るが、

結局、ダメでした。


今から思うと、これが人生において今のところ大失敗でした。

ただ、悪くないのに切ってくれと言われても

医者も困るのは解るか気がします・・・・・・







ステロイドも完全に切れていたのでベストなタイミングだったのだが・・・・






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Posted by takumi at 19:56

2010年04月10日

21歳で再発

当時 俗に言うプータローだったんですが

再発しました。

再発するとステロイドの量を増やし様子を見たのですが

治りそうになかったので、どうせプータローだし

即入院を決めました。

他の入院患者さんから見てなぜ入院しているのかわからない位

元気そうな入院でした。

サクッと入院して、サクッと退院したような気がします。

今まで何度か入院しましたが一番記憶に残っていない入院でした。

ただ、再発してから入院までけっこう病状に苦しんだような記憶があります。





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Posted by takumi at 21:20

2010年03月20日

高校入学から20歳まで

中学を卒業、高校に入学し、

高校は中学と違い、出席日数が足りないと留年という可能性もあるため

かなり焦っていたような記憶があるが、

結果として、一度も再発せず、まったく普通の学生生活を送れました。


中学時代の入退院の繰り返しは何だったんだろう・・・・


運動部で部活動もし、それなりに楽しい学生生活は送れました。



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Posted by takumi at 21:33

2010年03月03日

ステロイドとともに


結局、半年で退院したのですが、


中学2年・3年の2年間で 合計この病院には2回入院しました。



2回目の入院では、4ヵ月入院しました。




病状が 悪化すると

まずは ステロイドの量を増やす (この時点で症状が治まったことも何度かありました)


ダメだったら入院 絶食 で症状が治まるのを待ち。


エレンタールというジュースのようなものでカロリーを取って当分過ごす。



症状を見ながら、ステロイドを減らし、 一定量まで減ると退院。


退院後も様子を見ながら 完全にステロイドをなくなるのを待つ。


というパターンでずっと闘病してきました。


超花満開のニキビ

視力の急激な悪化

体中に広がる体毛



ステロイドでもらった副作用です。




そして中学を卒業し、小児科から内科に移った高校当時

ステロイドは完全に切れていたのですが、オモシロい現象が起こる・・・・





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Posted by takumi at 15:09

2010年02月17日

結局、入院期間は半年

とにかく、ステロイドは潰瘍性大腸炎には効かないは、

副作用はドンドン出てくるわで 治療的には大学病院のときより楽だったが

とにかく肝心な所、症状が治らないのである。


ステロイドを限界まで増やしそれでも治らないので、

結局、IVHプラス絶食という、大学病院と同じ治療法と取るのである

すると、すぐに病状は良くなり、IVH、絶食は解禁されるのですが、

ステロイド治療を始めるとすぐに退院は出来ず、

症状をみながら、少しずつステロイドの量を減らしていくので、

元気なのに退院出来ないという状態が半年近く続くのである。





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Posted by takumi at 10:30

2010年02月05日

副作用の恐怖

本来の目的である病気には、まったく効かない

副作用は、どんどん出てくるという状況に陥りました。

具体的には、薄毛になる(今現在同時のまま・それ以上増えもせず減りもせず)

にきびの大量発生(薬を辞めると自然に治りました)

異常に毛が濃くなる(背中なども毛がボーボー)

あとは、視力が極端に弱くなりました(今まで見えていたものが急に見えなくなる)


今から思うと この病院・何でもかんでもステロイドを乱発する病院のようで

当時小児科だったので、乳幼児の当然入院してくるわけで、

そのような子にも、平気でステロイドを乱発していたような気がします。

実際、ステロイド療法に失敗して、自力で立てなくなった子とか

病気のデパートのような状態になったいる子が多数存在したような記憶があります。



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Posted by takumi at 19:39

2010年01月16日

ステロイド療法

治療方法は、ものすごくラクでした。


朝昼晩 食後にステロイドを飲むだけ



検査はたまに採血するのと検便・検尿ぐらい


IVHという点滴もなし


絶食もなし。ただ食事はかなりマズイですが


ステロイドを飲み始めなんとなく効いたような様な気がして


調子が良くなるのですが、すぐに元の悪い状態に戻る。


医者がもう少し薬の量を増やしてみましょう。といいステロイドを増やす。


最初は少し調子が良くなる。すぐに悪くなる。

薬の量を増やす。・・・・・


の繰り返しで気が付けば・・・


1日限界摂取量まで1カ月で到達してしまい。これ以上薬の量を増やせないところまでいきました。


症状が治らないだけならまだしも、さらに大変なことが・・・



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Posted by takumi at 04:54

2010年01月02日

あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いします。

今年を良い年にするためにお互いに頑張りましょう。  


Posted by takumi at 05:23

2009年12月17日

4度目の再発

今回は再発するのも早かった。

退院してから、2週間位してから再発したように思う。



そして、大学病院自体が遠方にあることもあり、


親が面会が大変なこともあってか、


父親に病院替えるぞと言われ



そのまま、今度は労災病院に行くことになる。



病院の大きさ自体はほぼ大学病院と変わらない。


古臭い大学病院とは違い、近代的な病院で、あと、やたらめったら


大学病院のように検査をしないのは、すごく気分的に楽でした。



当たり前のように、初診察で即入院。


そして、IVHの点滴をし、そこまでは大学病院と同じ


ただ違うのは、絶食をしない方法があると言われた。


そして、当時、陸上競技の短距離でベン・ジョンソンという選手がドーピングで失格に

なったという話が話題になっていたのだが


その類の薬で治療できると言われ、


絶食という苦労をしなくて済むのならと、やります。


と返事したことが、後々自分を苦しめることになる・・・・・





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Posted by takumi at 17:24

2009年12月06日

3度目の入院

1年後、2度目の再発をする。

今から思うと、何度も入退院を繰り返すのですが、発病時期がいつも秋口、そして冬場に入院というケースが多いです。

そしてなぜか夏の暑い盛りに入院したことが一度もない。


何か因果関係があるのでしょうか??




3度目にもなると、病院に行くときはすでに入院の準備は出来ていて手慣れたもの

あまり自慢にはならないが・・・・



そして、検査地獄にびびりながら・・・・



大学病院の入院は2度目


看護婦さんにお帰りなんて言われながら・・・・


ただ違ったのは、専門医は同じなのだが、主治医が変わったこと

その主治医があまり検査を好まない点は助かりました。


実家が開業医なので、あまり検査、実験、研究などやりたくないらしい・・・


治療自体も前回とやることが同じなため、思ったよりも速かった。


猛スピードで治すという感じ。

2週間後には、元に戻り退院。


しかし・・・・・




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Posted by takumi at 06:06

2009年11月24日

原因を調べるためのモルモット

この大学病院のシステムは、

主治医に医者になりたて1年目の医者がなり

その上にいる専門医が指示を出し、治療を進めていくシステムになっているようだ。


厄介なのが、主治医の先生の研究テーマを持っていて、潰瘍性大腸炎と直接関係ないのだ。


この時の主治医の専門がアレルギー

検査もアレルギーと潰瘍性大腸炎との関連性みたいなことばかり検査させられる。

背中に100本近く注射を刺されたりもした。

そして専門医は基本消火器内科になるのだが、厳密には、研究テーマは 胃液らしい

鼻からチューブを3日間突っ込んで胃まで進ませ。 胃液の酸の状態を調べるらしい。


途中で機械が止まり、この時間のデータが欲しいとか言って、また別に日に初めからやり直し・・・


今思うと、拒否出来ない状況にあったのでしなかったが、もし今やられたらゼッタイ拒否するだろうね。


とにかく医者にとってやりたい検査をやりまくる。


結局、入院期間は1か月ほどだったのだが、そのうち絶食が2週間ぐらい。

大腸ファイバーという胃カメラの大腸版なんかその間に5、6回やったような気がする・・・


腸が調子の良い時にこの検査をやるとたいしたことがないのだが、

悪い時にやると・・・・睡眠薬で完全に寝ている時にやってくれたのだが

激痛で何度も目が覚めるほど・・・・



とにもかくにも、絶食により腸を休めたのが良かったのか

1か月ほどで完全に体調は元に戻り、退院した。





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Posted by takumi at 06:19

2009年11月03日

検査地獄 大学病院

潰瘍性大腸炎という病名が判明した次の日、

大学病院に転院させられました。

そして、転院当日いきなりIVHという点滴を鎖骨からされました。

初めて、局部麻酔をされ、医者もたくさん集まり(5,6人くらい)

一人の医師が皆に説明をしながら、注射を刺したり、縫ったりしていく

これから、自分はどうなっていくのか・・・

ものすごい恐怖でした。


2時間ぐらいで点滴をつけ終わり、病室に戻ると

しばらくして、インターンというのか若い1年目の主治医がやってきて、

当分絶食と告げられる。


麻酔が切れた痛みといきなりの絶食。


病気の痛みよりこれから起こる入院生活の恐怖のほうが大きかった。

大学病院では、お腹の痛みより検査のほうが全然苦しかった・・・


大学病院は規則が厳しく、さらに当時は小児科だったのでさらに厳しかった。

刑務所と今の自分の状態どっちがマシだろう?と思うことも多々あった。


今後、別の怪我病気等で入院することがあっても

大学病院は避けると思う。


そのくらい大学病院にはいい印象がない・・・・・




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Posted by takumi at 13:10

2009年10月23日

再発

退院3ヶ月後、再発・・・・・

1回目でもう慣れたか、入院するつもりで、同じ病院へ行きました。

予想通りすぐに入院。


医者からは「今回はしっかり検査しましょう」と言われ、全く異議もないので、

注腸造影と言われる、浣腸でバリウムを腸に入れレントゲン写真を撮る検査をしました。


そして、「潰瘍性大腸炎」と診断され、明日大学病院に転院するように言われました。





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Posted by takumi at 02:38

2009年10月02日

発病

もう、20年前になる。
中学1年生のころ、突然お腹に変調をきたし、おう吐、下痢、血便といった症状が起こり
苦しいので、病院に行く。

その時の、外来の医師が「コレラ等の伝染病の疑いがある。すぐに入院検査して下さい」

訳も分からず、即入院。点滴を指され。

医師には、隔離病棟に行かなければならないかもしれない。などと脅かされながら、

検便、血液検査等の検査結果を待つ、結果は細菌関係の病気ではない、病気の症状から考え大腸の病気には間違いない。


今回は、治るまで病院で安静にし、腸にやさしい食べ物と点滴で症状が治るか様子を見ましょう。
という結論になった。

一週間ぐらいたち、入院生活にも飽きてきたころ、体調がみるみる回復していき、10日たったころには
完全に元の体に回復して、晴れて退院となった。

メデタシ、メデタシ。とはならなかった・・・・





  


Posted by takumi at 20:15